罪の中にとどまるべきでしょうか

ロマ6:1「それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか」
これは5章にある「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました(5:20)」というパウロ自身の言葉に自問したものです。「罪」と「恵み」がシーソーのようにバランスが取られているのであれば、罪が多ければ多いほど恵みも多いのではないか…というものです。「罪」はギリシャ語で「hamartia(アマルティア)」で「恵み」は「charis(カリス)」です。この2つを浮かびあがせるものが律法「monos(ノモス)」です。罪にとどまることはその報酬である「死」「thanatos(サナトス)」を受け取ることにつながります(23)。生きている間に「死」の報酬を受けるよりは、悔い改めて「恵み」を受け取ることのほうが賢い選択のように思えます。パウロが言うように「罪のからだが滅び(6)」て、一度キリストの十字架とともに罪に死んだの なら、「死んでしまった者は、罪から解放されている(7)」という原則が成り立つわけです。実感として自分が死んだとは理解できていなくても、キリストを信じる信仰によってこのことは実際にすべてのクリスチャンに起きています。目に見えないものが不安でも確信をもって信じることが大切だと思います。