つまらないことに用いる器

ロマ9:21「陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか」
預言者イザヤもエレミヤもダニエルも陶器師のことに触れています(イザ64:8、エレ18:2、ダニ2:41など)。有名なのは「私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です(イザ64:8)」で、主が人をこねて形作り、火で焼き陶器を作る陶器師だと書かれています。パウロもまた主を陶器師に例え、「形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか」と言えるでしょうか(20)」と人が神のあわれみに不服を言うことが愚かなことだと説明しています。それでも自分はつまらないことに使われる器に作られていないように願ってしまいます。創造者の意図は誰にもわかりませんが、何かしら計画があって作られたことはわかります。世界一精密な機械であっても、ネジ1つが欠けただけで動かなくなります。スマホでもコンピュータでも同じです。小さく見えないような部品でも、大きな一部を担っているのです。世界的に有名な説教者や預言者に誰もがなれるわけではありません。むしろその人を支える人たちが尊い働きをしているのかも知れません。