思うべき限度を越えて

ロマ12:3「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい」
パウロが「ひとりひとり」に対して語った忠告です。「思うべき限度」というのは新共同訳では「自分を過大に」という訳になっています。英語NIVでは「do not think of yourself more highly than you ought」でギリシャ語では「hyperphorneo(フペアフォラネオ)」という単語が使われており、この単語が使われているのはこの箇所だけです。自分が当然あるべき姿を偽って、それ以上に考えてはいけない…という意味になります。ここで問題なのは自分の「思うべき限度」とはどこらへんにあるのかということです。よほど客観的に自分を判断できる人でないと難しいと思います。しかしパウロは「いや、むしろ」という語りかけで、思い上がるより、慎み深い考え方をするように説いています。それは神が「おのおのに分け与えてくださった信仰の量り」を使って判断するようです。そうすることにより、思うべき限度を判断するより、慎み深い考え方のほうに意識が集中させることができます。おそらく「信仰の量り」はそれぞれ違うので、慎み深さも違ってくるのでしょう。それをも理解した上でパウロは戒めているのです。