互いに訴え合うことが敗北

1コリ6:7「そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか」
「訴え合う」のギリシャ語「krima(クレマ)」は「さばく」という意味もあり、お互いにさばき合うニュアンスを示しています。イエス様の言われた「さばいてはいけません。さばかれないためです(マタ7:1)」はパウロの言葉を裏付けるものです。ここではパウロはさらに進んで「不正を甘んじて受け」「むしろだまされていなさい」と語っています。正義を主張し、義を尊重するクリスチャンならば納得のいかない考え方です。お互いにさばかないようにしたほうがましだという意味です。それでも現実はキリスト教の間でも教派間で訴え合い、裁判になることもあるようです。詐欺師は言葉巧みに言い寄ってきます。だまされ財産を失ってしまうなら悔しいでしょう。しかし、聖書は神にすべてをゆだねることを選択しなさいと説いています。少なくとも騙した相手を憎んではいけません。とても難しく自我が相当に砕かれていないとできないことです。自分をあざけり、嘲笑した相手を愛し、彼らのために祈るのです。とても人にはできませんが、イエス様はご自分が神であるにも関わらず、そのことをして見せてくださいました。