すべての人の奴隷となりました

1コリ9:20「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです」
前の説では「すべての人の奴隷となりました(19)」とあります。「奴隷」はとてもきつい言葉ですが、このギリシャ語「doudoo(デュラオ)」は「奴隷にする」という意味のほかに「束縛を減らす」という意味もあります。「奴隷」は比喩ですが、パウロが人を獲得するために、内に入りその人たちの内面を理解しようとしたことがわかります。ただ杓子定規にキリストを信じなさい、と言うのではなく、彼らの育った環境、受けた教育、ものの考え方を理解したうえで、彼らにあわせた言葉を選び、彼らに受け入れられるように噛み砕いたみ言葉を伝えたのです。イエス様ご自身も、自らが人の肉を着て、さらにたとえを用いて話されました(マタ13:34)。そういう意味ではこの伝道方法はパウロオリジナルではなく、イエス様に習った 方法だと言えます。それでも相手を理解する上で、へりくだって仕える態度を取り続けるのは、相手から侮蔑や軽蔑を受けることもあり得るはずです。パウロが多くの人を獲得するために忍耐できたのは、キリストの愛がパウロの心にあったからではないでしょうか。