若枝

イザ4:2「その日、主の若枝は、麗しく、栄光に輝き、地の実は、イスラエルののがれた者の威光と飾りになる」
若枝のヘブル語「tsemach(セマク)」は、預言書の中に登場する「救世主」のことを指しています(エレ23:5、ゼカ3:8など)。「その日」(英語では「in that day」)というのは、聖書をいつの時代に読むかによっていろいろ解釈があったようです。21世紀の現在では「その日」は主が来られる日だと判断して大丈夫だと思います。それはイエス様の言われた日でもあり(マタ24章、マコ13章、ルカ21章)、黙示録に書かれている終わりの日でもあります(黙12-20章)。また「いのちの書」が登場し(3)、これも黙示録の記述と呼応するものです(黙17:8など)。聖書には唯一ピリピへの手紙の中で「クレメンス」という名がいのちの書に書かれた名前として記されています(ピリ4:3)。ダビデの若枝、つまりイエス様が輝かれるのは、甦られたときと、もう1度地上に来られるときだと思います。イザヤはこられのことを幻として見ています(1:1)。イザヤが望むと望まらずに関わらず、幻はイザヤの目を通してイメージ化され、イザヤには何のことかわからないでも、忠実に記録して書簡として残ったおかげで私たちは終わりの日を少しだけ理解できるのです。