廃棄ではなく成就

マタ5:17「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです」
十字架の際、神殿の聖所の仕切りの幕は真っ二つに裂けました(マタ27:51)。神殿の役割が人に移ったわけです。キリストを信じる一人一人が祭司となり、祈りを捧げ、礼拝するようになり、古いスタイルはここで終了となります。では律法は守らなくてよいのでしょうか?あるいは律法を守れないときはどうなるのでしょうか?主の裁きは本物で妥協はありません。結論を言うと、生まれてから一度もミスをしないで生きることは不可能です。しかしたった一人この世に律法を守りきったお方がおられます。イエス様です。そして新しい契約がここにスタートするのです。それは信仰によって律法を完成させたお方を信じることで、その人は義と見なされ(ロマ3:24)、恵みによって死を免れることができるのです。イエス様はこの新しいルールに「愛」を提唱しました。「もしあなた方がわたしを愛するなら、あなた方はわたしの戒めを守るはずです(ヨハ14:15)」とあるように、神との愛の関係が、律法を成就させることになるのです。愛するためにはたくさん交わることです。