肝心なことは何?

マタ15:8-9「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから」
かつて学校の変な規則が話題になり、行き過ぎた管理が問題になったことがあります。「茶髪禁止」「シャーペンは使うな」「スカートの長さはひざまで」などなど…そんなことほっとけ、と言うようなものが多くありました。生徒の管理を文章化し、押さえつけて風紀を守ろうというものです。イエス様が引用したイザヤの預言は、まさにこのようは例が当てはまると思います。聖書的に言うなら、どんなに言われたことを守っても人を愛さなければ無意味です。イエス様がパリサイ人を嫌ったのは、彼らの行いを守ろうとする姿勢が、人を敬い愛する気持ちから離れていたからです。何よりも「安息日は何をしてもいけない」という律法は、主が意図したものとはあまりにもかけ離れていました。現代では運転はおろか、台所で火を使うことも禁止されています。エレベーターに至っては、乗るは大丈夫ですが、各階のボタンを押すことは「労働」とみなされます。それを守って神の栄光を表せることができるのでしょうか?日本の校則とどんぐりの背比べだと思います。