行いに応じて…

マタ16:27「人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします」
もし、イエス・キリストを救い主として受け入れず、十字架によって自分の罪が清められたことを信じないなら、その人は行いによって裁かれます。残念ながら、どんな行いも神を満足させることはできません。人が捧げるいかなるものも、罪を購うことができないのです。この世で唯一神に受け入れられる捧げものは、一度も罪に汚れたことが無く、神の御心を行う者の血です。すなわちイエス様の血のみが、罪を購うことができます。では、どうすればその血を得ることができるのでしょう?聖書によれば、イエス・キリストを信じる信仰によって、たましいの救いを得るとあります(1ペテ1:9)。信仰によって生きなければ、行いに応じて報いを受けます。生きる方法は2つに1つです。信仰によって生きるか、あるいは信仰によらずに生きるか…です。聖書は人を脅しているわけではありません。和解を選択するように勧めているのです。それは、もともとあるべき姿に戻るだけのことで、特別なことではありません。いのちはなぜあるのか…生きるのは何のためか…神と和解して初めて意味がわかります。