それから6日たって

マタ17:1「それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた」
「それから」というのは、イエス様がキリストであることを弟子たちに示し、十字架にかかることを教えてからということです(16章)。6日たってというのは意味があるように思います。わざわざ6日と書くのは偶然ではありません。キリストだと告白してから、白い衣をまとい、御姿に変わったのは7日目だということです。ルカによるとモーセとエリヤとの会話は、エルサレムで遂げようとしているご最後について…だったと書かれています(ルカ9:31)。イエス様は十字架にかかることを覚悟のうえで、バプテスマのヨハネの洗礼を受けました。神のあり方を捨て、ご自分を無にされたのです(ピリ2:7)。それゆえ神は喜ばれ天から声がしました。「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ(マタ2:17)」。今回も天から同じことばがありました。いよいよ十字架にかかる前に、本来なら輝ける御姿なのに、これを捨てる覚悟をモーセとエリヤに話していたのです。神でありながら、罪人として数えられた洗礼のとき、さらに栄光の姿を持ちながら、十字架にかかる覚悟をモーセとエリヤに語られたとき、同じように天から声がしました。神が喜ばれる、人としての姿勢がここに現れていると思います。