なぜバアルに

エレ19:5「バアルのために自分の子どもたちを全焼のいけにえとして火で焼くため、バアルの高き所を築いたからである。このような事は、わたしが命じたこともなく、語ったこともなく、思いつきもしなかったことだ」
イスラエル人がアシュタロテやバアルの神に走ったのには理由があります。ユダヤ人にとって、アブラハム、イサク、ヤコブは重要な祖先であり、信仰の祖として大切に思ってきました。その中でアブラハムがイサクを捧げる話は、信仰を試される有名な話です(創22章)。主はイサクを捧げよ、とアブラハムに命じました。もちろんそれはアブラハムにだけに命じたことで、それ以降のイスラエルの民に命じたわけではありません。しかし何かうまくいかないことがあったり、不幸が襲ってくるとき、イスラエルの民は何かを主に捧げるなら解決するのではないかと考えていたのです。バアルは収穫の神で、豊作と引き換えに子どもを捧げることを要求しました。これがあたかもアブラハムがイサクを捧げた試練のように思われたのです。自分たちの神エホバは、試練を与えてくれないが、バアルの神は信仰を試してくれる…もちろん間違っていますが、人が追い込まれるなら「わらにでもすがる」は今も昔も変わっていないのです。