二者択一

エレ21:5-6「わたし自身が、伸ばした手と強い腕と、怒りと、憤りと、激怒とをもって、あなたがたと戦い、この町に住むものは、人間も獣も打ち、彼らはひどい疫病で死ぬ」
主が敵に回ったら、勝ち目はありません。もしおとなしく捕囚にあい、連行されるなら生きながらえる可能性もありませす。しかしへたにバビロニヤとカルデヤ人に抵抗し、自分たちの町を守りとどまろうとするなら、疫病が襲ってきます(9)。どちらに転んでも受け入れ難い結果です。主は怒るに遅く、恵みに富んでおられる(詩86など)…とあるように、本来主は怒ることを抑えておられます。それは決して罪を放置するという意味ではなく、人が悔い改めて主に立ち返ることを望んでおられることを示しています。できればすべての人が救われて欲しいと願っておられます(ヨハ3:16)。しかし聖書の別の箇所には「いのちの書にのしるされていない者はみな」火の池に投げ込まれる(黙20:15)、とも書かれています。どちらの言葉も真実です。もし悔い改めのチャンスがなく、イエス様の十字架も用意されていなかったなら、人類の歴史はすでに終わっています。これは最初から主が計画なされたことです。大きな試練のときも、主にゆだねる信仰があるなら、賛美し礼拝できるでしょう。