二つのグループ

使23:8「サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである」
現在でも教会は聖霊を認めるグループと認めないグループに分かれています。福音派の多くは聖霊バプテスマを信じていませんし、聖霊を受けて異言を話すことは不気味な現象として捕らえています。使徒信条の中に「われは聖霊を信ず」と言葉があり、三位一体は否定しませんが、それが個人的な体験となると急に口ごもるのです。彼らが聖霊を信じ、また自ら聖霊を宿すと主張するのは「イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう(使2:38)」の聖書の箇所に起因しています。つまり水のバプテスマを受けるなら聖霊をうけたことになる、と言うわけです。しかし、それならわざわざイエス様が弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」というはずがありません(ヨハ20:22)。また同じ使徒の中には「彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである(8:16)」とも書かれています。さらに19章ではコリントの弟子たちが、イエスの名によってバプテスマを受けたとき、パウロが彼らの上に手を置いたときに聖霊が下りました(19:6)。クリスチャンがすべて仲間とは限りません。この点で教会は分裂する可能性もあります。それは使徒に書かれている風景と同じようになるのではないでしょうか?