2人の預言者

エレ26:20「ほかにも主の名によって預言している人がいた。すなわち、キルヤテ・エアリムの出のシェマヤの子ウリヤで、彼はこの町とこの国に対して、エレミヤのことばと全く同じような預言をしていた」
まったく同じような預言なら、「悔い改めれば、主がわざわいを思い直すかもしれない」という部分も含まれていたとはずです。ユダの地が滅ぼされ、廃墟になることは遺憾ではありますが、行いとわざを改めるなら思い直してくださると聞くなら、これは朗報です。死に値する預言をしたわけではありません。エレミヤは主の宮で、祭司や預言者たちに預言したのに対して、ウリヤは王の宮中の預言者だったようで、エホヤキム王に直接語ったのです。エレミヤの場合は、長老たちが5代前のヒゼキヤ王を引き合いに出し、たとえ預言が本当でも、ヒゼキヤ王のように行いを改めるなら、主が考え直してくれるかも知れないと全民衆に語り死刑を逃れました(19)。ウリヤにはかばう人がいませんでしたが、エレミヤにはアヒカムというヨシヤ王の時代から使えていた長老がいました(24)。どちらがどうというわけではありませんが、主の言葉を取り次ぐのは命がけだったことがわかります。終わりの時代に御言葉を取り付く重要さは増し加わっていくのだと思います。