意味がない契約?

エレ32:25「神、主よ。あなたはこの町がカルデヤ人の手に渡されようとしているのに、私に、『銀を払ってあの畑を買い、証人を立てよ。』と仰せられます」
エレミヤは庭につながれていました(2)。監視たちや、親戚、立会人など多くの人がアナトテの土地を売買することの証人となりました(12)。エレミヤはさんざん、ユダ王国は滅び、捕囚されると預言していたのです。今さら土地を買ってもやがてカルデヤ人が征服した際には、証書は紙切れ同然になってしまいます。エレミヤは矛盾を感じながらも、鎖につながれたままで主の言葉に従いました。それは70年後に、ペルシャがバビロンを滅ぼし、エルサレムユダヤ人に解放されることを預言するものだったのです。しかし、70年後にエレミヤが生きているわけもなく、この売買の事実を覚えている人がいるかさえわからない状態です。今は判らないかも知れないが「見よ。わたしは、すべての肉なる者の神、主である。わたしにとってできないことが一つでもあろうか(27)」と主は言われます。たとえ70年かかろうとも、主にとって不可能はありません。エレミヤが買った土地は、エレミヤが死んでも続く、主の恵みと御言葉の確かさを証明する大切な証拠だったはずです。