もう耐えられない

エレ44:22「主は、あなたがたの悪い行ない、あなたがたが行なったあの忌みきらうべきことのために、もう耐えられず、それであなたがたの国は今日のように、住む者もなく、廃墟となり、恐怖、ののしりとなった」
主が耐えられなくなることなどあり得るのでしょうか?耐えられなると「もう従わないものは必要ない」と滅ぼしてしまうのでしょうか?エジプトに来たユダ王国の人々が「わが子エルサレム」を捨てた責任は重大です。それは離れてはいけない、という言葉に従わなかったこともありますが、神とまっすぐに向き合わなかったことへの罰です。イエス様が来られ、福音が人の手にゆだねられてから現在に至るまで、主は我慢しておられます。しかし日本が自分ですべてを支配しているかのような思い上がりの心は砕かれる必要があります。それは日本人にとって痛いことです。従わない者に罰を与えるのと、高慢な思いを、ある出来事を通して気付かせるのは似て非なることです。裁きが下ってしまうなら、人はどんなに悔い改めても遅いのです。地震津波は確かに苦い出来事ですが、今主に心を向けずにいつ向けるのでしょう?それとも、また日本人は自分たちだけでまた復活し、高慢な思いを捨てずにいるのでしょうか?今こそ自分たちの力でどんなに努力しても無駄なことが、世の中にあることを学ぶときです。心が飢え渇き主を求める時は近づいています。