バビロンへの預言

エレ51:9「私たちは、バビロンをいやそうとしたのに、それはいやされなかった。私たちはこれを見捨てて、おのおの自分の国へ帰ろう。バビロンへの罰は、天に達し、大空まで上ったからだ」
バビロンは主が選んだ国でした。ネブカデレザル王は「わたしのしもべ(25:9)」と呼ばれ、イスラエルの民を捕囚することは主のみ心でもあったわけです。しかしネブカデレザル王はおごり、高ぶり、主を忘れ、自分の力で世界を支配することができたと勘違いしました。主は高ぶる心を嫌います。「高ぶりは破滅に先立ち(箴16:18)」と書かれているように、高ぶった心は破滅を招きます。イスラエルのまことの神から任命され、その言葉通りに動いて主に従い通せば、バビロンの滅びの預言はなかったかも知れません。しかし「この大バビロンは…私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか(ダニ4:30)」と語った瞬間に、7年間気がふれ、獣たちと一緒に生活しなければなりませんでした。やがてアッシリアがバビロンを滅ぼしますが、アッシリアにはヨナが与えられ、ニネベの人たちは一度は悔い改めます。バビロンにもこのような心があれば歴史は変わっていたかも知れません。