何で家を建てる?

1コリ3:13「各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです」
グリム童話に三匹の子豚という物語があります。わら、木、レンガで作られた家を狼が次々と壊し、最後のレンガはいくら息を吹きかけても壊れなかった、というものです。土台がイエス・キリストであっても(11)、その上に建てる家がわらで作られるなら、あっという間に火に燃やされ何も残らないでしょう。コリント教会では派閥があったようで、「私は○○から洗礼を受けました」…などという、洗礼を授けた人の人徳によって自分の徳も高められるようなイメージを持っていました。日本人の中にも「私は○○という有名人の知り合いです」というわけのわからない自慢をする人がいますが、コリント人の感覚と似ていると思います。「私はイエス・キリストの弟子です」と言ったほうがよほど人に羨まれると思いますが、人は目に見える範囲でものを考えるものなのです。信仰があれば「私はイエス様と個人的な交わりがあります」といえるはずです。