食べることも伝道

1コリ10:31「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」
パウロが言いたいことは、食べることで他人がつまづくなら、食べないでいなさい…ということです。モーセは岩を打ち、イスラエルの民はその水を飲みました(出17:6)。パウロの解釈によれば、岩はキリストで水は御霊のことです(4)。御霊に属するものなら、何を食べても大丈夫です。しかし未信者の前で、あえて酒を飲む必要もないのです。当時の風習で言うなら、クリスチャンが偶像に捧げた肉を食べても問題はありません。しかしまだ信じていない人が食べるのを見てつまづくなら、食べないほうが良いのです。霊的な意味では、クリスチャンは共にキリストの肉を食べ、血を分かち合う者です。また聖霊によって渇くことのない水を飲んでいます。ところが人は目に見えるものを信じます。クリスチャンが食べたり、食べなかったことを選択することで主の栄光につながるなら、その場で御霊に導かれた判断で人に証しすれば良いでしょう。