集まる理由

1コリ11:20「しかし、そういうわけで、あなたがたはいっしょに集まっても、それは主の晩餐を食べるためではありません」
エス様は4千人と5千人の給食のときにパンを裂かれました(マコ6:41、8:6)。そして最後の晩餐のとき(マタ26:26)にパンを裂かれて「わたしを覚えてこれを行いなさい(24)」と言われました。初代教会では、家々でパンを裂き心を一つにして食事を共にしていました(使2:46)。家族が別々に食事を取るなら、まとまりのない、分裂した家庭に見られるでしょう。復活したイエス様を家に招いた二人の弟子は、パンが裂かれるまで今まで話をしていたのがイエス様だと気づきませんでした(ルカ24:31)。パンを裂くことは、イエス様の行為の中で意味深いものだと思います。一つのパンを分け合うことで、心を一つにし、互いに愛し合うことを知ることが出来ます。どんなに食べても、7つのかごと12のかごにいっぱいになるほどパンはあふれるのです。またパンを裂くとき、人の心は開かれイエス様の証し人となれるでしょう。教会に集まるのは、違った考えの人たちを論破するためでなく、受け入れるために集まるのです。