教会の一部

1コリ12:24「かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです」
最も花形の器官は「口」ではないでしょうか?言葉を語る口は、直接心に届き、影響を与えることができます。「わたしも口の役目をしたい」と思う人も多いと思います。しかし胃のように、言葉を噛み砕くことが出来る人、腎臓のようにフィルターにかけることが出来る人も教会には必要です。語る器がいて、人を導く器があり、慰める器、祈る器…さまざまなことを分かち合うことで教会が成り立つのです。「かっこうの良い」は、体裁が良いとか、人前でも見苦しくないという意味です。人前に出る人はそれだけで祝福を受けていますが、主がいつも目を留めているのは目立たない部分です。誰からも見られなくても、1コドランドを投げ入れた女のように(マコ12:42)、あるいは右の手のしているこtが左手に知られないような(マタ6:3)行いには、主は目を留められます。たった一人でも「善を行うことに飽いてはいけません(ガラ6:9)」という言葉を守るなら、教会の大切な一部になれるのです。