気は早いですが…

1コリ14:23「ですから、もし教会全体が一か所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心の者とか信者でない者とかがはいって来たとき、彼らは、あなたがたを気違いだと言わないでしょうか」
霊にゆだねて、異言を話すことは自分の徳を高めることになりますが、他人にとってはまったく意味のないものです(17)。しかも未信者にとっては奇妙に見えるので、異言で祈るのも時と場所を選ぶ必要があります。とくに日本人は霊のことにはうとい割には、神経質な面もあるので注意をすべきだと思います。やがて天の扉が開き、日本にも本格的に神の霊が下ることがあるでしょう。多くの人が神の霊を受けるべきだと考えます。しかしその前に未信者には充分な配慮と愛を示すべきです。もし異言がつまづきを与えるのであれば、パウロの言うように自分の思いを優先するのではなく、お互いの徳を高めるためにしなければなりません(26)。異言も預言も認めない教会は1コリント14章は、まるで無いかのように振舞いますが、これからリバイバルを迎える日本の教会こそこの章に目を留め、多くの人が救われたときに備えるべきだと思います。