聖書訳に挑戦

1コリ13:1「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです」
ここでは異言には2種類あることが書かれています。御使いの異言は、文字通り天使の話す言葉だと思われます。異言は日本語訳で原文は英語訳に近い「舌を使って話す」という動詞です。「舌」は「glossa(グロッサ)」というギリシャ語で、別の箇所では「言語」とも訳されています。パウロが御使いの異言を話せたかどうかはわかりませんが、おそらく比喩で書かれたのだろうと思います。「自分は天使が話すような言葉を話せないが、それでも、もし私が天使の使う言葉で話したとしても…」、つまり「とても手の届かない天使のするようなことを、人であるパウロが仮にできたとしても…」と訳せないでしょうか?そして次の語句「愛がないなら」に続きます。ここでの愛はもちろん「agape(アガペ)」です。そのような人の範囲を超えた、超自然的なことを、人であるパウロがやってのけたとしても、すべてを無条件で受け入れる愛をもってしなければ、どら(ゴング)やシンバル(クンバロン)のように音が大きいだけの無意味な雑音でしかないのです…個人訳ですが、いかがでしょうか?