本当の和解

2コリ5:20「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい」
仲たがいして、元の関係に戻るにはどちらの心にもわだかまりがあってはいけません。神が怒ったままで、人を赦さないとするなら、すべての人は死に滅びるだけです。ほんのわずかでも苦々しい思いを思い出すなら、平和の関係はなくなってしまうでしょう。「わたしに思い出させよ。共に論じ合おう。身の潔白を明かすためあなたのほうから述べたてよ(イザ43:26)」…と書かれてあるように、主は罪を忘れておられるのです。それは神のご性質です。一度赦したのなら絶対に思い出すことはありません。我々が神の性質を受け継ぐ神の子と呼ばれる者なら、和解の後で何も思い出すことはないはずです。自分の子を殺した殺人犯が、獄中でクリスチャンになり、出所後その家族に謝罪に行ったとき、殺された母が殺人犯を赦し、その後彼の面倒を見た…という話を聞いたことがあります。普通ではあり得ないことです。殺された憎しみは決して消えることはありません。しかし世の人の常識では、到底計り知れない愛が二人を包み、心が変えられたのです。神の不思議は人を感動させます。