土の器だけど

2コリ4:7「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです」
私たちは最後は土に帰ります(創3:19)。ちり、あくたの存在にもかかわらず、神の霊を注ぎ子として扱われ(ロマ8:15)、御心を行うなら友とさえ呼んでくださいます(ヨハ15:14)。神は人を完全なものに造りませんでした。それはあわれむ必要があったからです(ロマ11:32)。肉体がなく、ただ霊と魂の存在ならあわれむ必要もないでしょう。人は、神に従うか、肉に従うかを選択しなければなりません。肉に従うなら、自分だけを愛し、自己中心的な考えで人を縛り、中傷し、従わせるようになります。そのためには争いもいとわない思いが心を支配します。神に従うなら、人を愛し、神の御心を知り、多くの人に自分の恵みを分かち合うことを選択します。主の恵みによって自分に起こったこと、それは宝です。神からの恵みを受けながら、心にしまっておくのは、宝を土に埋めるようなものです。神がなさったことを人に示すなら、それが人の運や実力だけではできないことを人々は知るでしょう。