自分で自分を

2コリ6:12「あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです」
自分の思いが中心にあるなら、他人を理解することは難しいと思います。心が窮屈なら、多くのことを受け入れる容量も無いでしょう。もっとも、クリスチャンであっても他人の心を知ることなど不可能です。神の力なくして人を受け入れることなどできないからです。もし異論があるなら、実行して見せてもらいたいものです。クリスチャンができる最低限のことは、人を赦すことです。自分の思いが心を支配し続けるなら、他人の考えなど入り込む余地はなくなってしまうでしょう。分かり合えない他人がもっとわからなくなってしまうのです。それは自分で自分を不自由にしているのです。他人と自分は違って当たり前…歩み寄るためには「裁き」は厳禁です。それとも「わたしの言うことを聞かない」なら、相手を攻撃しますか?すべてを受け入れる広い心は、そう簡単に作られません。神からの赦しを受けたクリスチャンが他人を赦すなら、世の人はそのような広い心はどこから来たのだろう、と不思議がると思います。広い心を持つクリスチャンは良い証し人になれます。