最も高価な宝物

2コリ8:9「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです」
誘拐事件で犯人は身代金を要求します。相手の資産状況に応じて、金持ちなら多額の身代金になるでしょう。すべての富を手にしている神は、我が子の命を惜しげもなく捧げ、最も大切なものを失いました。そういう意味においては神は貧しくなられたのです。しかしキリストの死と引き換えに人類の命を得ることができました。イエス様は神であられるのに、人と同じようになられ(ピリ2:7)、ご自分を無にしたのです。究極の貧しさは何も持たないことです。イエス様はこの世にあるすべての富の支配者であるにも関わらず、何も持たない者となられたのです。貧しさのゆえに人は命を獲ることができました。最も高価な代償をいただいたのです。クリスチャンは地上では金持ちではないかも知れません。高価な貴金属、車、家…お金にいたるまで、天に持っていくことはできません。私たちは与えられた永遠の命を携えて、神と出会うのです。最高の贅沢ではないでしょうか?