律法と信仰

ガラ3:22「しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです」
律法と信仰は表裏一体のものです。クリスチャンが「自分は信仰によって救われた」と言っても、その人は罪の下にいたのです。罪は律法に違反することです。どんなにがんばっても肉を持ちながら律法を完全に行うことは無理です。唯一イエス様だけが罪の下におられず、地上にいる間に律法を完全に守り通しました。イエス様の通られた道がわたしたちの歩むべき道です。イエス様が生きたように生きることで罪から開放されるでしょう。それは祈り、人に仕え、互いに愛し合うことです。わたしたちには出来ないことでも、完成されたイエス様を信じることはできます。神は、ただ律法の完成者であるイエス様を信じるだけで義と見なし、約束のものを人に与えようというのです。あまりにも単純なゆえに、怪しいまがい物もののようなイメージですが違います。それは人生の中で一度でも心が傷ついたり、傷つけたことのある人なら律法を守る難しさを知っているからです。約束は信じる人のものです。