アモス3章だれが預言しないでいられよう

アモ3:8「獅子がほえる。だれが恐れないだろう。神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう 」
「このことばを聞け(1)」とは、アモスが主からのことばもないのに、適当に預言していることではないことを指しています。仲の良い二人(3)、獅子(4)、鳥網(5)、角笛(6)、これらのものが働くには何かの要因があります。預言者も同じです。預言者が預言をするのは主が語られたからです(7)。全てのことに因果関係があることが示されています。イスラエルを罰するのも、理由もなく罰するわけではありません。「そむきの罪」のために罰せられ、その日にはベテルの祭壇の角を折られます(14)。イスラエルの祭壇はアカシヤで作られ、5キュビト角(約2メートル四方)のもので、四隅に角が付けられていました(出27:1-2)。角にはいけにえの血が塗られ、残りの血は土台に注がれたとあります(出29:1)。ベテルにも子牛の前に祭壇があり、祭壇の角に血を塗ることは罪をいけにえで贖うという意味で、イスラエルは偶像に向かってその行為をしていたのです。冬の家(15)は別荘のことで(エレ36:22)、ダマスコの長いす(12)は高価なソファのことです。どんなに栄華を極めていたとしても、「そむきの罪」の下にある以上、主からのさばきは逃れられません。アモスは主からのことばがあったから預言しています。イスラエルに、主からのことばを聞くだけの信仰は残っているのでしょうか?