アモス5章 わたしはこれらを喜ばない

アモス5:22「たとい、あなたがたが全焼のいけにえや、穀物のささげ物をわたしにささげても、わたしはこれらを喜ばない。あなたがたの肥えた家畜の和解のいけにえにも、目もくれない」
たとえ祭りをしようが、きよめのかおりを放とうがそれらは神を喜ばせるものではなくなってしまっています(21)。全焼のいけにえも(出29:18)、穀物のっさげ物も(出29:41)、神をなだめるものにならず、主はこれらを喜ばないと言われています。何か形式ばった、言われたとおりのことをしても、そこに心が込められていなければ主は喜ばれません。なぜなら人はうわべを見、主は心を見るお方だからです(1サム16:7)。主ははっきりとベテル、ギルガルには行くな(5)、と言われています。そこにはヤロブアムの作った金の子牛があり(1王12:28)、サムエルの祭壇があったところです(1サム15:21)。ヤロブアムはイスラエルが2国に分裂したときに、エルサレムのないイスラエルに別の神を立てて、もうエルサレムに行く必要はないとしました(1王12:28)。イスラエルの民はずっと、これを拝み、いけにえを捧げていたのです。しかし、アモスを通じて主はそれらの神に仕えるな、「わたしを求めて生きよ(4)」と言われました。このことばを逆に考えるなら、今のままでは死ぬという意味になります。神に立ち返るなら、生きることはできます。いのちのかかった重大な判断です。果たしてアモスの預言は人々の心に届いたのでしょうか。