ガラテヤ1章 ほかの福音に移って

ガラ1:6「私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています」
旧約のイスラエルとユダの民を見ているかのような錯覚に陥ります。天地を造られた唯一の神が導いてくださっているにもかかわらず、異邦の神を拝み続けたのがイスラエルとユダの両国です。特にイスラエルには、神殿のあるエルサレムがなかったために、礼拝をすることが難しい状態にありました。そこで、ヤロブアムは金の子牛を作り、ベテルとダンに備え、礼拝する対象としたのです(1王12:28-29)。この手紙はパウロが開拓したガラテヤ教会に送ったもので、まず最初に書かれていることが、「ほかの福音」についての警告です(6-9)。福音がそういくつもあるわけではありませんが、1つの例えとして「割礼」が挙げられています(2章)。これはローマ教会(ロマ4:10)やコリント教会(1コリ7:18)でも、論争があった問題です。なにかの「しるし」がなければ、クリスチャンとして認められないとするなら、「割礼」は目に見える「しるし」となり得るでしょう。しかし、パウロは何か形のあるものに頼ろうとする信仰に警鐘を鳴らしています。「御霊による、心の割礼こそ割礼です(ロマ2:29)」は、パウロの割礼に対する結論だと思います。