マタイ10章 自分のいのちを自分のものとした者は

マタ10:39「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします」
マタイ10章の最初に12弟子を任命したことが書かれ、彼らの名前が紹介されています(1-4)。そして、弟子たちにこれから起こることを説明し、覚悟を決めるように話しています。それは、行く先で受け入れられないこと(14)、議会に引き渡されむち打たれること(17)、多くの人から憎まれること(22)、家族が敵になること(36)などの内容で、いくら汚れた霊を制する権威が与えられたとはいえ、弟子でいるのも大変そうです。その中でも、39節のことばは厳しいもので、自分のいのちを自分のものとするなら、いのちを失うというものです。これらが告げられた後、イエス様が祭司たちに捕らえられたときに、イエス様を残して全員が逃げてしまっています(26:56)。自分たちが捕まることを恐れ、ひょっとしたらむち打たれ、厳しい拷問にあうかも知れないと思ったからです。自分たちが悪いことをしているという意識はなくても、武装した人たち(26:55)を見て恐れるのは普通の人の感情だと思います。逮捕されたとき弟子たちが逃げることもイエス様はあらかじめ知っておられ、弟子たちに告げたいろいろな試練を乗り越えるのは、聖霊が注がれてからだとわかっていたからです(使1:8)。