まだ眠っているのか

マタ26:45「それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです」」
「時が来ました」の「時」はギリシャ語で「hora(ホラ)」で、ある決まった一定の時間のことです。これにさらに定冠詞「he(ヘ)」がついているので、まさしく「そのとき」が来たのです。イエス様にとっては決断のときでぎりぎりまで天の父に祈り、すべてが御心のままにと願っていました(39)。弟子たちにはすでに終わりの日に何が起きるかを告げ終わっています(24章)。そして「目をさましていなさい(24:42,25:13)」と言われ、そのときがいつくるか常に気を配るように忠告を与えています。にもかかわらず、弟子たちは全員眠っていたのです。あたかも終わりのときのリハーサルかのような場面が描かれ、どんなに人が努力しようとしても聖霊の助けがなければ起きていることさえ難しいことがわかります。主が定めたある重要なときに立ち会える人たちはラッキーな人たちです。弟子たちはイエス様にとって最も重要なときに眠っていました。それは現代に生きるクリスチャンへの深いメッセージだと思います。「自分こそは」と思わず、「みこころのままに」という信仰が目を覚ましている秘訣ではないでしょうか?