1歴代誌13章 正しいと見たからである

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1歴13:4「すると全集団は、そうしようと言った。すべての民がそのことを正しいと見たからである」

ダビデも含めて民全体が律法の書に書かれていることを知らなかったのでしょうか。ダビデが箱を運ぼうとしたのは牛が引く車に乗せて運ぶという方法でした。契約の箱には4つの金の環がつけられており、そこにかつぎ棒を通すようになっていました(出25:12)。聖なるものに触れることができるのはケハテ族だけで、「それは聖なるものに触れて死なないためである(民4:15)」と書かれています。ダビデは祭司の着るエポでをつけていましたし(2サム6:14)、神の定めた律法を理解していないような言動が目立ちます。おそらく士師記のころから律法の書はどこかに行ってしまい、民はそれぞれ勝手に判断して行動していた節があります(士21:25)。それゆえに、ヨシヤの時代に祭司ヒルキヤが律法の書を見つけるまでかなりいい加減な、捧げものや祭りのやり方をしていたのだと思われます。ダビデも聖なるものに触れていいのはケハテ族だけだということを知りませんでした。そのため、ウザが死んだのは別の理由で主が怒っていると勘違いしてしまいます。このような出鱈目なやり方であっても、ダビデの心はまっすぐに主を向き、決して油そそがれたサウルに手を出しませんでした。律法よりも主に対する愛が強ければ主はお赦しになるのです。