ルツ3章 大麦六杯を量って
ルツ1章 マラと呼んでください
詩篇119篇176節まで あなたの仰せを忘れません
詩119:176「私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。私はあなたの仰せを忘れません」
最後の8節、すなわち169節から176節はヘブル語のアルファベット最後の文字「タウ」から始まる詩です。英語の「T」の発音に似ています。最後の176節に歌い手が何を選んだかは気になるところですが、176節の歌い始めは「taah(タアー)」となっています。意味は「誤る」とか「正しい道からそれる」というものです。自分は正しい道を見つけられず、迷っています…という歌い出しです。最後には「あなたの仰せ」となっていますが、ヘブル語では「mitsvah(ミツバー)」が使われており、「律法」のことを指しています。日本語では「ミツワー」とも表記し、「戒律」と訳されています。ここで歌い手が単純に主が言われたいくつかのことばを思い出し、それを忘れませんと歌っているのではなく、トーラーに書かれてある613のミツワーを忘れないと歌っているのです。英語では「mitsvah」を「commandments」と訳しており、十戒は「ten commandments」でまさしく、主の律法のことです。119篇の最後が主が人にくださった律法のことばを忘れません、と締めくくられているのは、今までの長い詩の最後としてふさわしいものだと思います。たとえ道を迷ったとしても、心に主からのミツワーが備わっていれば、正しく導いてくださるでしょう。
詩篇119篇152節まで あなたのさとしは奇しく
詩119:129「あなたのさとしは奇しく、それゆえ、私のたましいはそれを守ります」
129節から136節までは、ヘブル語のアルファベット17番目の「pe(ぺ)」から始まる単語でつづられています。129節では「pele(ペレ)」が使われ「奇しい」の意味です。以下、130節「pethach(ペサック)」「開く」、131節「peh(ぺー)」「くち」、132節「panah(パナー)」「向ける」、133節「paam(パアム)」「歩み」、134節「padah(パダー)」「贖い」、135節「paniym(パニーム)」「御顔」、136節「peleg(ペレグ)」「川」となっています。英語の「p」の発音と同じなのでわかりやすいですが、これらを歌い始めに持ってくるのは、かなりヘブル語に精通していなけばできません。129節を見るならば、まず「奇しい」と歌い始め、それは「あなたのさとし」のことだと続きます。さとしは「諭し」のことで、行ないや言葉について正しい態度や使い方を教えることです。それは「奇しい」、英語訳では「wonder」となっており、「驚異」であり「驚嘆」すべきものだと歌っています。次の節では「みことばの戸が開き(130)」、「口を大きく開けて(131)」と「pe(ぺ)」を繰り返し使って主を賛美しています。119篇の真骨頂と言える部分です。
詩篇119篇128節まで 私の道の光です
詩篇119篇 天において定まっています
詩119:89「主よ。あなたのことばは、とこしえから、天において定まっています」
89節からはヘブル語12番目のアルファベット「lamed(ラメッド)」から始まる詩になっています。これから96節まですべて「lamed」から始まる単語で詩が続きます。最初は「aowlam(オラーム)」で、「永遠」とか「昔」という意味があります。これに接頭詞のようにアルファベットの「lamed」が付き「laowlam(ラオラーム)」が89節の最初の歌い出しです。これに対することばが「dabar(ダバー)」で、「ことば」を指します。つまり神のことばは、はるか昔からある、新改訳では「とこしえから、天において定まっています」という意味になります。英語訳NIVでは「stands firm」で、「固く立っている」、すなわち動くことなく、固定されているという訳になります。神のことばは、アブラハムやモーセに語られたものを想像しますが、もっと以前から神のことばは存在し、天において確立しており、これが崩れることは絶対にありません。詩の中にこういう真理をいとも簡単に、しかも「lamed」を使って表現しているのは感嘆するしかありません。この89節は「あなたの言われることは測れないほど広いのです(96)」にそのまま直結するものです。神の言われることばは無限に広がります。