3ヨハネの手紙8節 もてなすべきです
3ヨハ8「ですから、私たちはこのような人々をもてなすべきです。そうすれば、私たちは真理のために彼らの同労者となれるのです」
おそらくパウロのような、各地を渡り歩き伝道している人のことを指しているのだと思われます(6)。もし、この手紙の時代がイエス様が生きていた時代とあまり変わらないのであれば、旅をしてどこかに泊まろうとするなら、まず足を洗う水で僕などが足を洗ってくれるのが礼儀だと思います。イエス様もあるパリサイ人に食事に招かれましたが、足を洗う水は出されず、代わりにある女が涙で足をぬらし、髪でぬぐうという話があります(ルカ7:36-38)。もてなしとは、旅の労をねぎらう行ないのことで、それは主のために働いている者を認める行為でもあります。この手紙にあるようにデオテレペスは、全く真逆の行為をしていました(10)。あれほど互いに愛し合いなさいと言ってきたヨハネにとって、この男の存在は頭の痛い問題だったと思います。どんな組織でも、自分のやりたいようにしかできない人は一人や二人いるものです。いまや「長老」となり(1)、唯一生きていたイエス様から直接教えを受けたヨハネでも、教会が完璧に愛に包まれることを見届けられません。それでも愛を呼びかけ、愛する兄弟たちを励まし、神の前で良い行ないをするように願っています(11)。良い行ないは神から出て、悪い行いは神を見たことのない者なのです(11)。
2ヨハネの手紙5節 初めから私たちが持っていたもの
2ヨハネ5「そこで夫人よ。お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです」
この名を明かされていない夫人は、1節では定冠詞「ho(ハー)」が使われており、教会でヨハネと親しかった人だったと思われます。ここでも「互いに愛し合いなさい」と書かれており、それは最初の手紙にもある「互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです(1ヨハ3:11)」と符合します。さらにこれは新しい命令ではなく、初めから聞いていたことだと書かれ、これも最初の手紙と一致します。ヨハネの福音書でイエス様が3回も繰り返した「互いに愛し合うこと(ヨハ13:34、15:12、15:17)」は、その後のヨハネの人生のテーマになったようです。ヨハネの最初の手紙の中では5回も「互いに愛し合う」ことが書かれ(1ヨハ3:11、3;23、4:7、4:11、4:12)、ヨハネがキリストを伝えるときに真っ先に挙げた大切なテーマだと言えます。そして、この手紙の中でも「初めから私たちが持っていた」とあり、世の惑わしが襲ってきたとき、最初の教えである「互いに愛し合う」ことを思い出すなら惑わされずに済むと伝えています(6-8)。愛は「御父の命令に従って歩むこと(6)」で、その命令とは「愛のうちを歩むこと(6)」です。ヨハネの手紙には、「愛」ということばがあふれ、いかにイエス様に愛されていたかがわかります。