1ヨハネの手紙5章 すでにかなえられた

1ヨハネ5:15「私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです」
神はどんなことでもできます(マコ10:27)。願うことが自分の都合によるものなら、神も困ってしまうでしょう。ヨハネは「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら(14)」という条件付きでこのことを言っています。山上の垂訓では、祈るときには、偽善者のようであってはならない(マタ6:5)とイエス様は言われました。むしろ、祈るときには自分の奥まった部屋で戸を閉めて祈るべきだと勧めています(マタ6:6)。さらに、ことば数が多ければ聞かれると考えるのも良くないことです。しかし、祈りの応えには時間のかかるときもあります。数分、数時間でかなえられるときもあれば、何日、何ヶ月、何年にも及ぶことがあります。それでも、信仰を持って山に向かって海に入れと言うなら、そのとおりになると言われています(マタ21:21)。モーセが海を分けたときも、杖を差し伸ばしたあと、終日終夜地の上に東風を吹かせた(出10:13)と書かれています。映画のように、あっという間に水が別れたのではなかったのです。祈ってから、どのぐらい待てば願いは叶えられるのかは、その人の忍耐に応じて主が叶えてくださるのだと思います。何も変化がなくても、主がすでに叶えてくださったと信じることが必要です。