イザヤ5章 何かわたしがしなかったことがあるのか

イザ5:4「わがぶどう畑になすべきことで、なお、何かわたしがしなかったことがあるのか。なぜ、甘いぶどうのなるのを待ち望んだのに、酸いぶどうができたのか」
ブドウとイスラエルの関係は古く、聖書に最初に出てくるのは、ノアの時代です(創9:20)。以降、エジプトでも(創40:11)、約束の地でも(申6:11)、ぶどうはイスラエルの生活に密接に関係しています。ブドウは水はけの良い土地を好み、湿地帯などはブドウの栽培に適していません。そういう意味ではイスラエルの土地は、ブドウ栽培の好条件がそろっていたことになります。ここでは神ご自身がブドウを植え、育てる比喩が語られています(1)。主は「なすべきことで、なお、何かわたしがしなかったことがあるのか(4)」と語り、手を抜かず、最善を尽くしてブドウを育てたことを訴えています。ブドウ畑をイスラエルの家だとし、ユダヤ人をそこに植えたのです(7)。しかしよい実はなりませんでした。この例えは、イエス様がいちじくの木を呪ったことを思い出させます(マタ21:9など)。良い実を期待しても、実はならず、イエス様はいちじくに落胆しました。イザヤの預言もイエス様のときとよく似ています。「御怒りは去らず、なおも、御手は伸ばされている(25)」とあり、主のさばきが予断なく実行されることがわかります。ユダヤ人はやみと苦しみを見るようになるのです(30)。