互いに抱き合う

ゼカ3:10「その日には、―万軍の主の御告げ―あなたがたは互いに自分の友を、ぶどうの木の下といちじくの木の下に招き合うであろう」
いちじくをイスラエル(エレ24:5など)、ぶどうをクリスチャンのたとえだとすると(ヨハ15:1)、ユダヤ人とクリスチャンの融合とでも言えるのでしょうか?この章の最初には大祭司ヨシュアと彼を訴えるサタンが右に立っていることが書かれています(1)。訴えられたヨシュアは礼服も(4)、ターバンもかぶっていませんでした(5)。本来ならイエス様が弁護してくださるのですが(1ヨハ2:1)、ここでは「礼服」と「ターバン」で身を固める必要があります。礼服のたとえはマタイに出てくる、婚礼に招かれる人たちのことが思い出されます。礼服のない者は婚礼場に入れず、御国に入るためには礼服(救い)が必要なたとえとされています(マタ22:1-14)。またかぶり物についてはパウロが「救いのかぶと(エペ6:17)」という表現を 使っており、礼服とともに「救い」を表しています。サタンの訴えはこの「礼服」と「ターバン」を身にまとう事によって退けられるのです。さらに「その国の不義を一日のうちに取り除く(9)」とあり、すべて神を信じる者たちが購われることが書かれています。ユダヤ人も異邦人も関係なく主の前で抱き合う日が来るのです。