生きがい

1テサ3:8「あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります」
使徒として教会が成長することは親のように喜べることなのでしょう。パウロは「生きがい」を感じています。ギリシャ語では「zao(ザオ)」が使われ、「生きる」とか「呼吸する」という意味もあります。しかもテモテの報告はパウロの期待以上で、お互いに会って話したいと考えていたようです(6)。指導する者が指導を受ける者より劣っていてはいけません。そういう意味ではイエス様は「すべての点で私たちと同じように試みに会われたのです(ヘブ4:15)」と書かれており、どんな困難も理解できる経験を積まれました。またパウロも多くの災難や刑罰を受け、同様に困難な状況をくぐり抜けています(2コリ11:23-27)。経験の少ないものが経験豊富なものを導くことは難しいものです。テサロニケの人々が成長して 、使徒パウロに会いたいと訴えたのはテサロニケの人々も困難に会い(4)、パウロが教える教えを理解できたからだと思います。パウロはこれで満足ではなく、さらに互いに愛し合うようになることを手紙に書いています(12)。すべての試練、困難が訪れたなら最後は愛し合う関係が残るようにパウロは指導しているのです。