2テサロニケ3章 私のどの手紙にもあるしるし

2テサ3:17「パウロが自分の手であいさつを書きます。これは私のどの手紙にもあるしるしです。これが私の手紙の書き方です」
現代なら筆跡鑑定をして、パウロ本人が書いたがどうかを調べることができます。パウロの手紙はほとんどが口述筆記で、テサロニケの手紙のように最後にパウロしかできないサイン、あるいは印が書かれていたと考えられます。中にはガラテヤの手紙のように、目の悪いパウロが大きな字で自分で書く例もあったようです(ガラ6:11)。しかし、テサロニケには「私たちから出たかのような手紙(2:2)」が出回っていて、それらの手紙によって、パウロのテサロニケへの最初の手紙の再臨や空中で主と出会う内容が歪められていたようです。その結果として、仕事をせず、しまりのない歩みをしている人たちが出てきました(11)。それらの人たちのためにパウロは、主が来られる前に背教があり、滅びの子が(2:3)現われることをはっきりと書いています。パウロは聖書の奥義をテサロニケ人に知ってもらいたいと最初の手紙を書きましたが、信仰の浅い人たちには、その奥義は主が明日にでも来るものと勘違いしてしまったのです。パウロは彼らに仕事をするように勧め(12)、今度の手紙は偽物の手紙ではなく、パウロのしるしの入った本物であることを書いています。主の日が近いからといって、仕事をしなくなったり、締まりのない生活をするのは御心ではないのです。