だれがこの日に耐えられよう

ヨエル2:12「主は、ご自身の軍勢の先頭に立って声をあげられる。その隊の数は非常に多く、主の命令を行なう者は力強い。主の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられよう」
主が怒るのに遅いのならば(13)、まだ悔い改めるチャンスがあります。まさしく「主に立ち返れ(13)」ということばが必要なときです。世界がなんとか人の知恵によって争いを避け、平和を保とうとしているときには主の時はまだなのだと思います。人がもうどうしようもなく、神にすがるしか方法がなくなったときに、主の時は来るのではないでしょうか?「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである(2コリ12:9)」とあるように、人が我を張っているあいだは主の力は完全に働かないのです。人が弱るときに、主は強くなり、人が強いときには主は前に出てきません。ヨエルの預言には「このようなことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない(2)」とあり、人が経験するものとしては、ノアの洪水よりも、ソドムとゴモラの破滅よりも激しいものです。しかしヨエルはただ滅びを宣告したわけではなく、ご自分の民を愛し(18)、償われることも預言しています(25)。たった73節の預言書ですが、これほど終わりの時代を詳しく描いている預言もないでしょう。