不法を行なう者どもが

詩92:7「悪者どもが青草のようにもえいでようと、不法を行なう者どもがみな栄えようと、それは彼らが永遠に滅ぼされるためです」
「滅ぼされる」に相当するヘブル語は「shamad(シャマッド)」が使われ、「破壊する」などの意味があります。不法を行う者を認めるわけにはいきませんが、新約の時代になり、すべての人が神の子どもとなるチャンスがある以上、不法の者たちをも受け入れ忍耐をもって祈り、神のみもとに導かなければなりません。そういう意味では、彼らが滅ぼされることを望むことは新約時代ではあり得ないことです。「さばいてはいけません。さばかれないためです(マタ7:1)」は、イエス様の言われた聖書の奥義だと思います。それでも終末が来るなら、不法はは びこり、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになります(マタ24:10)。旧約でも、終末でも主を待ち望むようになることは同じです。この詩は安息日のためだと最初に書かれています。人が憩うようになるためには、神の愛が必要です。できれば悪者は罰してほしいと願いますが、それでも主の変わらぬ愛が人との関係を回復させたいと願っているのなら、そのみ心は何よりも優先するべきなのではないでしょうか。