詩篇125篇 イスラエルの上に平和があるように

詩125:5「しかし、主は、曲がった道にそれる者どもを不法を行なう者どもとともに、連れ去られよう。イスラエルの上に平和があるように」
「連れ去られよう」の英語訳NIVは「banish」が使われ「追放する」という意味です。主が正しい者に目を注いでくださっていることは感謝なことで、ここに書かれているように曲がった道にそれる者や不法を行う者と一緒に、どこかに追いやってくれれば正しい者は安心できます。クリスチャンは「さばいてはいけません(マタ7:1)」と教えられ、キリストにあって敬虔に生きようとするなら迫害を受けます(2テモ3:12)。相手を攻撃し打ち負かし、勝ち誇ることもできるでしょう。しかし、それでは神はその人を憐れむことができません。神が憐れまれるのは、その人が弱くどうしようもない状況にあるときです。聖書には「神はたちの弱さに同情できない方ではありません(ヘブ4:15)」とあります。また、パウロは主が「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである(2コリ12:9)」と言われたことを知っており、人が弱ければ神は強くなることを語っています。この詩の最後は「シャローム ジェルサレム」で終わっています。悪が人から離れていき、平和が訪れるように…という切なる祈りだと思います。