そむくことは占いの罪

1サム15:23「まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」
「占い」はヘブル語で「qecem(ケシム)」で「偶像礼拝」は「teraphiym(テラフィム)」が使われています。どちらも主の忌み嫌うものです。占いは律法で(申18:10)、偶像礼拝は十戒で(出20:4)禁じられています。そむこことも、従わないことも律法や十戒に触れていないように思えますが、サムエルははっきりとこれらのことが主のもっとも忌み嫌うものに匹敵する罪なのだと説明しています。サウルは主を恐れずに、「民を恐れた」と言っています(24)。単なるそこらへんの王ならばそれでも良かったのでしょう。しかし、「油注がれた」者となると話は違ってきます(10:1)。この日以来サウルには主の霊が激しく下るようになったのです(10:6)。主の霊が注がれていながら、占いや偶像礼拝をしたのなら、もう手の施しようがありません。サウ ルの心には油注がれたものの、まだ人間臭さが残っていたのです。サウルはサムエルの上着のすそをつかみすがります(27)。それは主から見放されたことよりも、王位に固執した姿ではなかったのでしょうか?主のことばを最初に拒んだのはサウルの方だったのです。