心にこれを書きしるす

エレ31:33「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」
エス様の時代になっても律法が廃棄されたわけではありません(マタ5:17)。律法は罪を浮かび上がらせるものではあっても(ロマ3:20)、律法を完全に守って生きていくことは不可能です。それは肉の思いがあるからです(ロマ8:3)。律法の成就はイエス様の十字架によって完成しましたが、これはエレミヤの時代から預言されていたことです。もはや祭司や律法学者だけが律法を学ぶのではなく、すべての人の心に律法が示され、ユダヤ人でなくても神の民となり得るのです。このことをパウロはへブル人への手紙の中で強調して教えています(ヘブル10:16-18)。613あるとされる律法は、イエス様によって2つに集約されました(マコ12:30-31)。神を愛し、隣人を愛することです。ある時代を境にこの新しい契約がスタートし ます。それは親の罪が子に継がれるものではなく(29)、子自身が罪の責任を負い、贖われるというものです。親はアダムのことではないでしょうか?信仰により、アダムから続く罪から解放されるのです。