律法が与えられる前

ロマ5:13「というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです」
交通のルールがないのに警官が交通違反を取り締まれるでしょうか?裁判官も法律に乗っ取ってさばきをします。そこには何らかの決まりごとがあります。神のもとにいて、神の言葉を守っている間は罪はありませんでした。神の言葉に疑いを持ち、自分だけの判断で判断した瞬間に罪は人を支配したのです。サタンは最初に誘惑する対象をアダムではなくエバを選びました。それはおそらく完全に造られたアダムではイエス様と同じように「神は食べてはならないと言われた」と神の言葉を使って誘惑に失敗したかもしれないからです。それでも罪は人に入り、肉の弱さに人がなかなか打ち勝てないことが証明されました。肉体がなければ律法も必要なかったでしょう。また、肉体がなければ神の哀れみもな かったと思います。人が霊とたましいだけの存在なら律法もなくて良かったのです。パウロは律法があろうがなかろうが「罪」は存在していた、と言っています。それは罪が違反ではないことを示しています。罪の定義は神から離れている状態を表わすのです。律法を満たすためには神のもとにいて、神との交わりを絶やさないことです。ただイエス様が罪のために死んだことを信じる信仰が律法を満たす条件だと思います。