主の事がら王の事がら

2歴19:11「ご覧なさい。あなたがたの上のかしら、祭司アマルヤは、主の事がら全体に当たります。また、ユダの家のつかさイシュマエルの子ゼバデヤは王の事がら全体に当たってくれます。さらに、あなたがたの前のレビ人はつかさです。勇気を出して実行しなさい。主が善人とともにいてくださるように 」
「主の事がら」と「王の事がら」と2種類に区別し、さばきつかさを指名しています。現在ならば刑事と民事のような感覚でしょうか?「主の事がら」はもっぱら主の律法に関することでしょう。それには祭司アマルヤが任命されています。王に関すること、すなわち律法には触れないけれども、判断が分かれたり、明確に裁量が決まらないときには、さばきを下すことのできる権威ある者はユダの家から選び出されています。ヨシャパテはイスラエルの王アハブと行動を共にしますが、先見者エフーの忠告により(2)、エルサレムに戻りユダ国の政治に専念します(4)。ヨシャパテには忠告を聞く耳があり、エフーの言葉にすぐに反応しています。アハブと戦場に行き、命からがら逃げ帰ってすぐのできこ とです(18:31)。過ちを正すことは誰でもが簡単にできることではありません。ヨシャパテの柔軟な心には驚かされます。しかもその判断は民に主の御怒りが下ることのないように、とあります(10)。アサ王に続き、ヨシャパテも主に従う王でした。このままダビデの王国が続けば良いのですが、歴史はそう簡単にうまく行きません。