私の恐れていること

2コリ12:20「私の恐れていることがあります。私が行ってみると、あなたがたは私の期待しているような者でなく、私もあなたがたの期待しているような者でないことになるのではないでしょうか。また、争い、ねたみ、憤り、党派心、そしり、陰口、高ぶり、騒動があるのではないでしょうか」
コリント教会に分裂があることは、最初の手紙の冒頭に書かれています(1 コリ1:11)。しかし、第2の手紙を読む中にそのような問題が次第に解決していることが分かります(7:11)。パウロは高ぶったり、自慢する中にこれらの最初に解決すべき問題がまたぶり返すのではないかと心配しているのです。そして弱さの中にこそ強さが隠れていることを教えています(10)。それは「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです(1コリ1:25)」という最初の手紙にも書かれている内容と一致します。パウロが誇って見せ(5)、「私が弱いときにこそ、私は強いからです(10)」と結論付けていることは興味深いことです。それはコリント教会の人々がいまだに頑固で、ある意味まとまりに欠けていることを指しています。パウロが次回訪問するときに、彼らの悔い改めが偽りでないように、パウロ自身の行いも偽りでないように釘を刺しています(21)。何を誇り、何を自慢に思うかは人それぞれですが、キリストにあって誇れるものは、自分自身が弱いということです(5)。逆にいうなら、「弱さ」が誇れるまで導かれる必要があるということだと思います。