誇る者は、主を誇りなさい

2コリ10:17「誇る者は、主を誇りなさい 」
「誇る」のギリシャ語「kauchomenos(コウチョメノス)」は新約でも2回だけコリントの手紙に出てくる珍しい単語です(1コリ1:31)。ここではパウロが有言実行の男であることが書かれ(11)、強気で話すのはキリストに属するがゆえにキリストに属するもののように振舞うことを勧めています(7)。強い語気で確信をもって話すことは悪いことではないですが、もし語った言葉が実現しなかったり、偽りであるなら、語気の強い分だけ恥をかくことになるでしょう。パウロはコリントの外の態度が強い者なら、コリントへ行ったときも同じであることを強調しています(11)。語った言葉には責任が伴ないます。来週になったら再臨がある…などという人がいるなら、その人は必ず恥を見ます。1900年以降、数えきれないそう いう予言が行われ、ことごとく外れています。古くはアメリカに渡ったピューリタンの中に、メシア再臨思想があったとも言われています。この地上が滅びることと(マタ13:31)、人が必ず死ぬことは(ヘブ9:27)、揺るぎない事実です。そしてイエス様がもう一度来られることも事実です(ルカ21:27)。そして再臨については誰も知り得ないことも聖書伝える大切な情報です(マタ13:32)。自分が何をしたかではなく、主が何をしてくださったかに目をとめるとき、自分を誇ることが馬鹿らしくなるでしょう。